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集落の長が亡くなられた。閉ざされた田舎の風土を感じさせない気持ちを頂いた。

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今日職場に出勤する前に郵便局に寄ったら、
住んでいる地区の自治会長を長年されていた方が亡くなったと聞いた。

崎戸は風光明媚な島である。夕陽が綺麗。

自然の風景にほんとに癒やされる。

そんな町(村?)でも集落特有の移住者への拒絶感・・・否めない。
我が家は旦那ちゃんが高校までは住んでいたし、全く知らないところからの移住じゃない。
それでも高校を卒業して40年以上も経ってるし、
何しろ正直言って、ずっとこの島に住んでいる旦那ちゃんの兄とは仲が良い訳では無いしね。
色々噂も飛び交う。

疎外感が無いわけでは無かった。

知らない人ばかりの中で、
自治会長は移住した時から何かと気をかけてくれていた。
困ったことは無いか?いつでも相談してくれ。と声掛けしてくれていた。

運が良く何も困ったことはなかったけど、それでもその言葉。どんなに力を貰ったかわからない。
本当に感謝しか無い。

崎戸に越してすぐ自治会の会計という仕事を相談された。
なにしろ、私は全くの経理音痴で数学以下、算数の知識でさえ危ういのだが、
たまたまExcelは出来る。
そして旦那ちゃんは数字には強い。

最初なので分からないことばかりだったが引き受けた。

引き受けた直後、
旦那ちゃんが脳梗塞になり、得意な数字の部分の知識と能力だけが抜け落ちた・・・。
残された足し算もろくに出来ない私。

乗りかけた船を降りて、断ろうとしたけど説得された。
出来るところまでやりましょう!と。

大事な所は助けて貰い、旦那ちゃんと二人三脚でどうにか乗り越えられました。
ほんとに大変だったけどね、決算時には数日徹夜で・・・。
4年務めて、会長の交代で私たちも一旦退いた。(たぶん数年後にはまた回ってくる)

まだ崎戸に住んですぐの私たちに、この役を振ったのは会長の思いやりだったのかなと思う。

実際、一番大変な役回りと知ってる皆の見る目は、
単に都会に飽きて戻ってきた夫婦という扱いから、ここに根を据える夫婦という感じに変わってきたような気がする。
それに病気で倒れた旦那ちゃんは、
復帰後、社会的にも適応する生活が出来るという自信がついたと思う。

私たち、そして会長の最後の大仕事。
島に橋ができて50年の記念祭典。

裏方で旦那ちゃん頑張ったなぁ。会長とふたりで。

良い記念になった。
賛否両論有ったみたいだけど。(小さい集落あるあるで)

式典をする必要性あるか?ないか?より、
橋ができたことの感謝を再認識するのに良かったんじゃないの。
と当時住んでなかった部外者の私は思う。

この橋。

泳げば渡れるほどの距離だけど(実際船頭さんがいない時は泳いで渡ってたらしい)
だって、この橋ができた事、どれだけ嬉しかったか、助かったか、
もう今は当たり前になって忘れているよね。

この橋のお陰で車での行き来が可能になった。
今はなんとアマゾンで品物が届く。

亡くなられたと聞いて、一番先にこの橋の記念式典を思い出した。

当たり前の事、つい忘れがちだけど、
大掛かりな記念式典も、思い出そうよ!という会長の気持ちが有ったのではと思う。

たぶん大きな何かが起こらない限り、私たちも最後はこの島で迎えることになると思う。
その時、いまから誰かが移住してくるというのは考えられないけど、
誰かに喜んでもらえる存在になれるようなれたら良いな・・・・・。