心から出会いに感謝すると共に、生きていく力を貰う。

フェイスブックの友人からのお知らせで、
大連時代にほんとにお世話になった、「心翠」さんが、
去年の12月に亡くなられていたのを知る。

知り合った時が心翠さんがもう80歳、
私がもう帰国して10年以上経つのでもう90歳はとうに過ぎられた年齢だと思う。

「心翠」さんとは、大連のmixiグループで知り合った。
旅順の博物館。当時まだ日本人は入館できなかった頃、
旅順博物館のツアーをmixiでしたのだけど、そのツアーに参加したのが「心翠」さん。

考えてみたら、その時もう心翠さんは80歳越えてたのね。
知り合ったのが、ネット上、しかもmixi.
当時はまだフェイスブックも、ツイッターも無かったんですよね。
今こんなにネットが普及してても80歳過ぎて参加するってなかなか無いかも。

日本人立入禁止だった旅順博物館。
でもそこは何かと融通がきく中国。
知り合いのお兄さんが当時旅順博物館の館長をしていて、頼んでもないのに招待された。
息子さんが日本に留学してて福岡に住んでいたので、
私が福岡と聞いて多分色々頼みたいことが有ったのだと思う。
(実際後で荷物を届けてって頼まれた)

旅順博物館に行ったことと、素晴らしかった事を、確かmixiの日記に書いた気がする。

それで日本人入れるの?という話になって、
館長に話したら友達ならOKですよ!といわれて、
旅順ツアー(といっても現地集合で博物館を見るだけ)が企画された。

そこに中国人である心翠さんが参加されたのだった。

そこから急激に心翠さんとは仲良くなった。
仲良くなったというより心翠さんは皆の大連の母であった。
オフ会も良く参加されて、何か有れば親身になって相談に乗ってくれて、
話していても全然歳の隔たりを感じなかった。

老いも若きもみんな心翠さんが大好きだった。

そんな心翠さんに誘われて、
中国で生存する「清朝最後の王女」と言われてる、
友人の愛親覚羅顕琦さんに逢いに天津まで行った事。

ほんとうに、ほんとうに、一生心に残る思い出となった。

心翠さんが当時80歳、顕琦さんは91歳。
この大先輩のおふたり。当時も言い表せないほど素敵だと思ったけど、
この歳になり、今思い返すたびに当時思っていた以上に、
最高の素敵な先輩たちだったなと思う。

なぜなら今72歳の私が、いつまで生きれるかわからないしとか、
3年先のことは考えるのが無理、明日死ぬかもしれないしとか、
言葉のあやではなく本気でそう思っているからだ。

たった、72歳でだよ。考えてみれば恥ずかしい。

苦労した時代をくぐり抜けて前を向いて生きてきた先輩たちが、
うじうじしないで世の中を生き抜いたのに、
普通に生まれ戦争を知らず、いわれもない理由で投獄もされず、
労役もなく、誰かに襲われたり狙われたこともない。
年金がないくらいでうじうじするな!

と、自分を叱咤激励する。

思い出そうよ、なにか壁にぶつかっても、
実際に乗り越えられるはずがない壁を乗り越えてきた先輩たちがいる。
現実に居た。

心翠さんが亡くなられたのはほんとに哀しいけれど、
訃報を聞いて今一度、出逢えたことに感謝すると共に、
これから生きる力をもう一度しっかりバトンタッチされた気がする。

その愛親覚羅顕琦さんは2014年、95歳で亡くなられていた。
どちらかというと宝塚の男役みたいなサバサバした物言いで、
ほんとに素敵な方でした。

天津近くの廊坊の顕琦さんの自宅で。
世が世なら、中国の王女である顕琦さんの横に、
ちゃっかり普通に座って話してた。(顕琦さんの日本語は完璧です)

当時のブログ。
心翠さんとの旅記録。懐かしいです。