この歳になると色々重要な事もすっかり忘れ去る能力(?)を身につけるようですが、
何故か、15年前の3月11日。
この日の事は忘れないですよね。
震災が起こった時、大連の喫茶店に居ました。
3月16日に日本に本帰国するので、大連に残る友達とお茶してたんですが、
友人のご主人から友人に電話があって、『福島で地震が起こってるけど大丈夫か?』でした。彼女のおばさんが福島で民宿をしていたので、心配なので電話してみてという電話だったんです。
電話してみたら繋がらなくて、
繋がらないよね〜とか言いながら最後になるかもしれないのでお昼を食べて、ケーキを食べて、かれこれ3時間以上お店にいて家に帰ると、息子たちが騒いでた。
住んでいたアパートはNHKワールドが配線されていたのでニュースが見れたのだけど、
目に入ってきた映像に唖然とした。
息子たちはそれが気仙沼の画像だったので尚更衝撃を受けていて、
その前の年、離任した中学2年時の担任の先生の赴任先が気仙沼だったからだった。
3月15日の卒業式にも毎年前担任から祝電が送ってくるのだけど送られてこなかった。
あとで、無事だったのが分かったのだけど、卒業式もなんとなく晴れやかな気分ではなかった気がする。
スローモーションのようにあのお店でお喋りしてた風景や、
部屋に帰ってみたTVの画面。幾度となく思い出して、鮮明だ。
もう15年経っているのに・・・・。
そして、日本に帰国して、もう5年経ったんだ。10年過ぎたんだ。15年にもなるのかと、
過ぎた時間を思い出すきっかけにもなる日。
ただ、どんな日も、あの日ほどの鮮明さでは覚えていない。
次の日買い物に行くと色んな人に声をかけられた。
日本人?と聞かれてそうだというと誰もが大丈夫か?家族は大丈夫かと聞いてきた。
そして、日本に持って帰る荷物はほとんどが日本には送れないと拒否された。
震災には影響を受けていない場所だといくら説明してもだめだったので、
荷物の4〜5個無くなっても無事帰れるだけでも有難いかと思って諦めた。
スーツケース1個だけ持って帰ったけど、考えてみたら大事のものも入っていたんだった。
でもね、そのくらい大した事じゃないと思うよね。
3月は、中国に行く前には住んでいた福岡で西方沖地震があり、
食器が散乱し、中国に行くのに連れて行けないしどうしよう、川に連れて行く?
と悩んでいた、夜店で買って成長した金魚がショック死してしまった。
なんか複雑な心境。
私の送別会の予定だった日なので、結局ろくに挨拶もできなくて日本を離れた。
なんか、3月って・・・。
たぶん12ヶ月のなかで一番記憶が鮮明に残っている月なんだと思う。
そんな3月もあっという間に半分が過ぎそうです。
今夜はひっそりと残り物ご飯。
一昨日の牛カルビのステーキの骨を洗ってスープにしてみた。本当に残り物・・・。
これが出汁が出て、お代わりしたくなるくらい美味しかったです。

そして、いとよりの香草焼き。
冷蔵庫のあまり野菜を全部乗せて焼いたもの。

夕ご飯後、明日久しぶりに友達とランチ予定なのでお土産にクッキー焼きました。
アーモンドクッキーと、ディアマンクッキー。

そして1日が終わって、こんな日はブログにでも書いてない限り数年後は微塵も覚えてないだろうなと思った。
粛々とそんな日々を重ねて行く。
それも良いかなとは思うけど、
やっぱり死ぬ前に1度、スッキリ整理整頓何もない部屋で暮らしてみたいなとも思うので、
3月は転機のの時期だし、(私にとって)
断捨離ぼちぼち玄関あたりから始めますか・・・。



