65 年前?の写真を蘇らせるってすごい技術。

叔母が亡くなりました。

親戚の少ない我が家で唯一残っていた身内。
一軒家でひとり暮らしをしていた叔母は、
コロナ前に自宅のソファーから落ちてそのまま動けず、
朝そのままの姿勢でいるのを発見されて、施設に移ったと聞きました。

そして、コロナ。

2年間は面会も数ヶ月に1度に制限されていて、やっとコロナが収束した時には
家族にあっても反応がないくらい衰弱していたそうです。

葬式に船で向かう。

大島港まで車で送っていって貰い、船で佐世保まで20分。
船は高速艇なので早い。

それから、歩いて高速バスで福岡に向かうのだが・・・・。
この乗り換え時間がほとんど連携していないので結構どのバスにするか迷う。
乗り換えに10分くらいしか時間の余裕がないので、かなり焦る。

船を降りたターミナルからバスセンターまで歩いて5分かからないくらいだけど、
大きな信号を2つ通り抜けないといけないので運が悪いと10分内でたどり着けない。

昨日は、信号に引っかかったので、走った〜〜!
走って、もう動き出したバスに間に合い停めて乗せてもらった。
このバスを逃すと時間に間に合わないので、仕方がない。

普通の福岡行きは、時間的には間に合うかな?というバス便があっても、
もう1本後のバスにする。
バスの時間までTUTAYAで本を買って、スタバでコーヒー飲んで待つというスタイル。

高速バスが座席指定の予約制なのでややこしいんですよね〜。
切符買ったらどの便でも空いていたら乗れるスタイルにして欲しい。

とりあえず息を切らしながらバスに飛び乗りセーフ。
ご飯を食べる時間はないので、地下街のパン屋さんの併設のカフェで、
弔事用の封筒を買って包んだ。

斎場は長年住み慣れた姪浜。

来たのは何十年ぶりだろう。
20年近く駅から走れば30秒というところに住んでいたので、
駅ビルのスーパーは冷蔵庫代わりだった。

散歩代わりに毎日のように駅ビル内を散歩してたので懐かしい。
以前よりお店も増えて、賑やかになっていた。

変わってたのはこれ。レンタル自電車?

これでした。

こんなシステムいつ出来た?田舎者は初めて見た・・・知らなかった。


斎場は私が住んでいた頃に出来た新しい斎場でした。駅から歩いて7〜8分くらい。
途中にある大きなショッピングセンターも、店も少し変わってた。

スタバも出来てた。
都会だぁ〜
ここ、何にもなくてほんとに辺鄙なところだったんですよね。
ニンジン畑の跡も有って。
40年前は😅


小さな祭壇に安置された叔母は、
ほんとに小さくて、美人でした。92歳。

うちの母も92歳で亡くなったので、
口癖のように、「私は姉ちゃんみたいに長生きは出来ないから」と言ってたけど、
結局同じ年だったのね。


今霊柩車も普通のバンなのね・・・。
お位牌を持って乗り込みました。

久しぶりに集まった従兄弟たち3人。
みんなひとりっ子なので小さい頃は兄弟みたいに育っていて遠慮がない。

唯一の身内って感じかもしれない。
みんな結婚してからはほとんど交流はないけど集まれば昔のまま。

甥がおばあちゃんの昔の写真見たことがないというので、
昨日昔のアルバムから剥がしてきてた写真を、
PhotoShopで加工した写真昨日急遽作ってたので見せてあげた。

昭和33年。久留米に移って来たばかりの頃だと思う。

右下が叔母。その横は父。

これって、もうはじめからカラー写真という感じですよね。
元の写真がぶれているから鮮明ではないけど・・・ここまで再現できるってすごい!

これはもっと前の叔母がまだ結婚してない頃の写真。

これはちょっと古さがわかるけど画像は鮮明です。一番右。

これも結婚前だと思う。これは白衣がオレンジ色に染まってしまってる。
もうひと段階加工すればもっと違うかもしれない。

美人でした。美人というより可愛かった。80歳になっても変わらず可愛かった。
残念ながら、82歳の時会ったのが最後で、
もう少し、会いに行ってあげてればと後悔しています。

今日は写真を見ながら色々思い出が溢れてきます・・・。