土曜日、天津へ行ってきました。
前の週の土曜日、旅順行きの目的の一つに、
「爱新觉罗显琦(あいしんかくら けんき)さんの生まれた家を見てくる」
というのが有って、清朝八大親王の「粛親王邸宅跡」を訪れた。
今は、伸び育った雑草に囲まれたその家を、
あの窓からきっと旅順の街並みを眺められていたんだろうな・・とか、
当時を知っている木々が残っているのだろか・・とか、
思いを馳せて見上げると、
時代の流れに翻弄された幾つもの思いが、舞い降りてくるようだった。
そして、その家で生まれ育ち、
粛親王の末娘であり、清朝最後の皇帝であった愛新覚羅溥儀の末の妹、
男装の麗人として日本では有名な川島芳子の妹でもある、
「愛親覚羅顕琦」さんにお会いするため、
天津を訪れた。
顕琦さんの友人であり、縁があってお知り合いになった「心翠」さんから、
お誘いを受けたからだった。
思いがけなく歴史上に名が残るような人物にお会いできる!
なんという幸せ。
慌てて、たまたま友人が所有していた、顕琦さんの著書、
「清朝の王女に生れて―日中のはざまで」を借りて読んだ。
王女として生まれた後、時代の流れの中で、
15年間の投獄生活、文明改革時代の7年間にわたる強制労働、
自由の身となったのは何と50歳を超えてからだったというのに、
それから後の顕琦さんの生き方は
波乱万丈だと思っていた私の人生が、まっ平らに見える。
その人生の波はうねっていたはずなのに、
お逢いした顕琦さんは何と若々しく、変わらず凛として、時としてお茶目で、
そして、失われてない気品に圧倒された。
女性の輝きは「裕福さ」や、
飾りだけの「名誉」だけでは成長はしないものだとつくづく思った。
顕琦さんが、90を過ぎたお年だとは、誰も思わないだろう。
透き通るようにしなやかで美しい手で、
優雅に煙草をふかす顕琦さんを見ていると、
・・・・・・やはり、生まれつき、そうなのだと思わずにいられない。
単に数えるだけの年齢は、顕琦さんには似合わない。
あまりの美しさに、みんなで「手がとても綺麗」というと、
農作業を7年もしたんだもの、鍬を使って耕す事も上手に出来るのよ・・・と、
笑いながら答える顕琦さんの、その精神力と気高さに感服する。
顕琦さんが91歳。
連れて行って貰った心翠さんは80歳。
行動力も、頭の回転も、素晴らしい心翠さんにも、
付き合ってみると吃驚させられる事ばかりだけど、
流石はその心翠さんと気が合うというだけに顕琦さんだけに、
また、より素晴らしい女性!!
そして、訪れた天津は想像以上に、とても奇麗な街だった。
次の日は溥儀が暮らした天津の家を訪れる。
まさに時代の流れの渦の中に巻き込まれた愛新覚羅家の運命を、
身近に感じ取れたような気がした2日間。
いろんなめぐり逢いに感謝。
旅順、天津、2週にわたって訪れた街で出会えた、
たくさんの気付きに、感謝。
旅順編NO2、天津編、写真などは、後日UPする事にします。